ASKAさんのブログ「終わったー!」に対しての所感

ASKAさんのブログの更新がありましたね!

早くもコメント欄が少し荒れてます。

これぐらい、彼も想定内でしょうが。

aska-burnishstone.hatenablog.com

コメント欄に対する所感ではなく、

ASKAさんのブログに対する所感。

 

コメント欄に書こうと思ったけどとても書ける雰囲気ではないし、

意図しないファン同士の紛争になるのはいやなので、あくまで「個人的スペース」と言える(いや、ブログは個人的スペースではない、、、か? しかしコメ欄よりかは閉鎖的だし、ASKAさん本人に対するメッセージ性は薄れるので……)ここに記します。

 

 
 私は長い間、CAに関しては楽曲だけ(もちろんビジュアルも昔から好きだったがそれほど追わなかった)を、ほぼ、人生と同じだけの期間、繰り返し、繰り返し聴いてきた。
 動画やライブ映像を少しずつ、掘り下げるようになったのはここ数年。私にとってはタイミング悪く、掘り下げはじめた直後、2014年、彼の逮捕、となった。
 一気に掘り下げる訳ではなくほんの少しずつ、掘り下げはじめた。そこに逮捕や薬物中毒者に対する差別などの他意はなく、浅く広く音楽を聴く私には、CAに掘り下げる時間が必然的に限られたということに過ぎない。


 ASKAさんのブログが始まってから、それに関してつぶやく用のTwitterアカウントを取得し、Twitterそして彼のブログコメント欄を通じて、CAファンの皆様とふれあう機会がふえ、長年のファンの皆様の想いにふれることになった。


 私のようなライトなファンとは違い、皆さんはCAと歩んだ歴史がある。そこには私と大きな溝がある。そして熱いファンの皆様にはある共通項があることに時間をかけずしてわかった。それはとても「真面目」ということ。CAの楽曲に対しても物凄く健全で真面目で全身全霊。音楽というコンテンツに求める以上のものを「CAに懸けている」という印象を持った。それはブログコメ欄紛争の言葉を借りれば「依存」なのかもしれない。しかしそれはCAにとってみれば「支持」や「評価」で、彼らをアーティストたらしめる存在だ。支持も評価もなければ彼らはただのニートだ。

 それは今回置いといて。

 実はブログコメント欄を見て気になっていたフレーズがあった。「裏切らないで」「信じます」「あなたを許す/許さない」というワードだ。楽曲作品を楽しむだけなら本来不要な言葉だ。なぜそんな言葉が出てくるのだろうと不思議でしょうがなかった。
 最近、大手動画サイトで、CAのインタビュー動画を観てまわっている。するとすぐに気がついた。それは彼らが似たようなことを口にしていたのだ。

 未来を信じる
 嘘はつかず、本当の想いを曲に綴る

 CAの二人が音楽に対して楽曲以上のものを懸けていて、投影し、希望なんかも織り綴ってている。ファンはそれを支えにして、自分の人生に対する希望なんかも投影し、その楽曲を聴く。そしてライブではCA二人、そして観客全員とが共鳴しあい、感動を生むのだろう。彼らの楽曲は真面目に「本物」「本音」だと連ねてきた。それをファンは信じた。
 エンターテイナーとしては最高のアプローチだ。彼は本当にスマートで、仕掛け人としてもプロ級だ。
 そしてASKAさんは暴力組織とのつながり、薬物使用に関する報道に対しても、彼は「やってない」「信じてほしい」とファンに伝え、ASKAさんの方からファンへ「約束」を結んだ。そして、その後、逮捕となり、その言葉への「裏切り」につながり、「許せない」という感情をファンに生んだのだろう。
 その流れは理解した。そう導いたのは間違いなく、ASKAさん本人だと言えるだろう。
(この際、「浮気」という民事責任は除外。それに関してはまた別の機会に記したい)

 そして今日仕上がったという曲のタイトルは「未来の勲章」ときた。
 勲章というのは本来「過去」に起きた栄誉に対して、第三者が与えるものだろう。「未来の勲章」とはこれからのものごとに対する「希望」と言い換えてもいいかもしれない。これは勝手な推測だけども。


 ここにきても、彼はみんなの「先頭」に立って、「希望」をあたえるキリスト的ポジションにふたたび立つつもりであろう。それは彼自身もブログで似たようなことを幾度も明示していた。

 私は少し違和感を覚える。これから彼が作る作品として、それがリアルなんだろうか。心底、みんなに共鳴してもらえるのだろうか。
 私からすると、今のASKAさんにしか歌えない曲の方がとてもしっくりくる。
 LOVE SONGでもない、みんなに光芒をあたえるHOPE SONGでもない気がする。
 完全に私の勝手な考えだけど、ね。

 

 しかし彼はこのブログを立ち上げた本来の目的であるともいえるブログでこう語っている。

 

私はアーティストとして、心底から音楽に向き合うつもりです。 覚せい剤犯罪の再犯率は高いと言われていますが、私は再犯のないグループの先頭に立ち、音楽をとおして社会に貢献しなければならないと考えています。 執行猶予中の者が復帰すべきではないという意見があります。しかし、私は、私と同じような境遇に立たされた執行猶予中の人たちが、明日を見いだして、生きる希望を見つけることができているように、私は、自分の天職として歌を生み出して行こうと思っています。 いっそうの努力が試されるでしょう。 明日より、心の中で膨らむようにできた未来地図を大きく広げ、声を、音を走らせるための準備に入らせて頂こうと思っています。

ありがとう。 - aska_burnishstone’s diary

 

 

 「私は再犯のないグループの先頭に立」つと語っているけど、その先頭になれるかどうかはさておき、そのつもりでいる。それは大いに結構なことだ。そんな曲を求めるのは「その配下にいる執行猶予中の再犯しない人々」でなく、「明日をみいだして、生きる希望をみつけることを探している人々」ということなのだろう。(少し皮肉表現が多めで申し訳ないが、最後の一文は真面目です)

 ブログでみせてくれた、グロテスクなまでの散文詩
 ASKAさんらしくなくて気持ち悪いというコメントも散見されたけど。
 私にはリアルで、胸に響いたし、うつくしかった。
 それは絶望の淵から垣間見える、希望をうたっていた。それは賢人が指し示す、恒星のような「希望の光」とはほど遠かった。しかし、それは、漆黒の闇夜に浮かぶ星屑のようで、キラキラとちりばめられていた。その闇と光のコントラストはとても綺麗だった。次作がそんな作品だといいな。

 ASKAさんが今見てる景色を、それこそ、嘘はつかず、本当の想いを曲に綴ってくれたほうが、魅力的だからだ。

 


 新譜では、そんな景色がみえることを願ってる、そんなファンもいます。

 


 って本心を要約して9/1ブログ「終わったー!」のコメント欄に書こうとも思ったけど、書きづらいわ。
 今制作してる楽曲がまったくそうでなかったら、気分ぶちこわしだし、それを願ってないファンも多数いるだろうしね。あのブログコメント欄の流れからすると「批判」「異論」として扱われそうだしね。本当、純粋は時に怖いですよ。私は「異端児」ですか。あそこは「みんな同じ方向を向こうね」意識が高すぎてチビる。音楽なんて主観的にそれぞれの考えで聴いてていいんじゃないという私の主観。でも、ライトなファンの一風変わった主観は、亜種として映るのでしょうし、それは自覚してます。なのでこんな辺境の地の端っこでつぶやきます。

 こんな風に想いをこらえること、それはASKAさんは望んでないかもしれないけど。折を見て、あそこにぶちまけ、、、ようかな。